東京高等裁判所 平成11年(ネ)218号 判決 1999年12月22日
控訴人
阿部国博
右訴訟代理人弁護士
中本源太郎
被控訴人
安田火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
有吉孝一
右訴訟代理人弁護士
平沼高明
同
加々美光子
同
小西貞行
同
平沼直人
同
水谷裕美
主文
一 原判決を取り消す。
二 被控訴人は、控訴人に対し、金四〇五万二〇二五円及びこれに対する平成八年一一月七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。
三 訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。
四 この判決の第二項は仮に執行することができる。
事実及び理由
第一 当事者の求める裁判と原判決
一 控訴人
主文と同旨。
二 被控訴人
1 本件控訴を棄却する。
2 控訴費用は控訴人の負担とする。
三 原判決
1 原告(控訴人)の請求を棄却する。
2 訴訟費用は原告の負担とする。
第二 事案の概要
税理士である控訴人が被控訴人との間で締結した税理士職業賠償責任保険契約に基づき、被控訴人に対して保険金の支払を求めたが、被控訴人は、本件保険金契約の税理士特約条項中の免責特約に定める免責事由にあたることを理由として、その支払を拒否した事案である。
一 争いがない事実
1 控訴人と被控訴人は、次の税理士職業賠償責任保険契約(以下「本件保険契約」という。)を締結した。
(一) 保険期間 平成平成七年七月一日から平成八年七月一日まで、及び平成八年七月一日から平成平成九年七月一日まで(一年毎に更新)。
(二) 保険金額 一請求につき五〇〇万円、保険期間中合計一〇〇〇万円。
(三) 填補責任 保険者は、被保険者が日本国内において税理士としての業務の遂行にあたり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について法律上の賠償責任を負担することによって被る損害を填補する。
(四) 免責金額 一請求について三〇万円までは填補責任を免責する。
2 本件保険契約の「税理士特約条項」の第5条2には、左の免責特約がある(以下「本件免責特約」という。)。「当会社(保険者である被控訴人を指す。)は、納税申告書を法定申告期限までに提出せず、または納付すべき税額を期限内に納付せず、もしくはその額が過少であった場合において、修正申告、更正または決定により納付すべきこととなる本税等の本来納付すべき税額の全部もしくは一部に相当する金額につき、被保険者が被害者に対して行う支払いについては填補しない。」
3 控訴人は、昭和六二年四月二七日、サントー石油株式会社(商号変更後はサントー物産株式会社、以下「訴外会社」という。)との間で、税務顧問契約を締結し、爾来、同社の月次年次決算に関する事務、法人税及びその他の諸税の申告、税務関係届出書の作成とその提出等の事務を担当して処理した。
4 控訴人の勤務税理士である平石共子税理士(以下「平石」という。)は、訴外会社の平成平成七年一〇月一日から平成八年三月三一日までの課税期間分の消費税確定申告書を作成して、平成八年五月二九日、神田税務署長に、これを提出した。その申告内容は、仕入れにかかる消費税額が売上にかかる消費税額を超える(仕入税額控除)ことを理由に、四三五万二〇二五円の還付を請求することを含むものであった。
しかし、平石は、同年七月三日、神田税務署から訴外会社は消費税課税事業者となっていないとの連絡を受け、右申告(還付請求)を取り下げた。還付請求を取り下げざるを得なかった事情は次のとおりであった。
5 国内取引を行う事業者のうち、その課税期間(個人は暦年、法人は事業年度)の基準期間(個人についてはその年の前々、法人にいてはその事業年度の前々事業年度)における課税売上高が三〇〇〇万円以下の者については、その課税期間における課税売上高が三〇〇〇万円を超えても、その課税期間中に国内で行った課税資産の譲渡等につき納税義務が免除される(消費税法(以下「法」という。)九条一項、通一―四―一)が、右により納税義務を免除された事業者であっても、課税事業者を選択することを希望する事業者は、課税期間開始前に納税義務の免除を受けない旨の届出書(以下「選択届」という。)を所轄税務署長に提出することにより課税事業者となることができる(法九条四項)。課税事業者となることにより、消費税納税義務を負担することになるが、その代りに、仕入れにかかる消費税が売上にかかる消費税額を超えるときは、確定申告(還付申告)をすることにより、その超過差額の還付を受けることができるなどの利益もあるからである(法四六、五二、五三条)。
訴外会社は、平成二年一二月末日を期末とする事業年度までは課税事業者であったために、消費税確定申告をしていたが(甲九)、平成三年以降は免税事業者であった。しかし、前課税期間末である平成七年九月末日までに、選択届を提出しておけば、それに続く年度の消費税確定申告をすることにより、差額の還付を受けることができた筈であった。ところが、その任にあった控訴人が右の期限までに、選択届を提出しなかったために、還付を受ける資格がなく、無駄な申告をしたことになったので、これを取り下げたのであった。
6 控訴人は、訴外会社から選択届を提出しなかったことの責任を問われ、平成八年七月一五日、訴外会社に対して、還付を受けられるはずであった消費税相当額四三五万二〇二五円を支払って弁償した(証人木股、控訴人本人)。
二 争点及び争点を巡る当事者双方の主張並に原審の判断
原判決は、次の1(一)の被控訴人の主張を容れて、還付申告は過少申告と表裏の関係にあり、実質において過少申告と異なることがなく、また所轄税務署から還付を受けられないとの通知を受けて取り下げたのであるから、更正処分を受けたのと同視すべきであり、控訴人がなした還付請求は、本件免責特約が対象とする行為に該当し、被控訴人は填補義務を負わないと判断して、控訴人の請求を棄却したので、後記争点2については判断しなかった。
1 本件免責特約適用の有無
(一) 被控訴人の主張
本件免責特約は、過少申告によって、「本来納付すべき税額」を納付しなかった場合に、故意過失の有無を問わずに一律に、それによる損害の填補をしないと定めるが、平石は、訴外会社が消費税の還付を受けられる立場にないのに、消費税確定申告(還付請求)をしたのであって、この還付請求は過少申告と同視すべきものであるから、本件免責特約により被控訴人は保険金支払義務を負わない。
(二) 控訴人の主張
控訴人は、課税期間開始前に選択届を提出しなかったために、還付を受けられなくなったのであって、過少申告等をしたわけではないから、本件免責特約の適用はない。
2 控訴人の訴外会社に対する損害賠償義務の有無
控訴人は、訴外会社は平成二年一月以降休眠状態にあったが、平成七年七月、株式会社オートバックスセブン(以下「オートバックス」という。)とフランチャイズ契約を締結して、事業を再開することとしたために、多額の設備投資をしたり大量の在庫商品を仕入れる必要が生じたので、平成七年一〇月から平成八年三月までの課税期間には、仕入税額控除により多額の消費税の還付を受けられることが予想され、控訴人も履行補助者である石井喬(以下「石井」という。)を通じて、訴外会社からそのことを知らされていたにもかかわらず、選択届提出を失念したのであるから、損害賠償義務を負うと主張し、被控訴人はこれを争った。
第三 当裁判所の判断
一 還付申告は過少申告等と同視すべきか。
本件免責特約の趣旨は、税理士関与の下に、「無申告、不納付、過少申告」(以下「過少申告等」という。)がなされた場合において、後日、更正決定や修正申告等により、本来の税額を納付しなければならなくなったとしても、本来収めるべき税金を納付するのであるから損害とはいえないだけでなく、そのような場合にも差額が損害として保険によって填補されるとすれば、いわゆる「駄目もと」での故意による過少申告等の違法行為を誘発することになりかねないし、個々の過少申告等について、そのような不正な目的があるかどうかを、逐一判断することは容易でないので、これら過少申告等については、故意過失を問わず一律に填補対象から除外したものであるとされているが、本件免責特約中には、還付申告又は還付請求或いは過大還付請求に関する文言は記載されていない。
二 被控訴人は、本来還付を受けられない税の還付申告をすることと、本来納付すべき税額より少ない過少申告をすることは、たまたま課税庁がそれを見過ごして、申告を是認してしまったときは、国庫の収入が減り、それだけ納税者が不当に利得する点で異なることがないし、また、消費税を仮納付していないために、納付すべき消費税があるにもかかわらず、仕入税額控除を過大に記載することにより、納付税額がないだけでなく、還付を受けられる分があるとして、消費税確定申告をする場合を想定すれば、まさに過少申告と何ら変わらないと主張した。
なるほど課税事業者が仕入税額控除を過大に計上することにより、納税額がないと申告する行為は、過少申告そのものであり、本件免責特約が適用される。
しかし、本件は、控訴人が選択届を法定期限までに提出しなかったために、訴外会社が還付を受ける資格を取得することができず、その結果、適時に選択届を提出していれば、受けることができた還付税額相当の損害を被り、控訴人は、税理士として仕入税額控除により多額の消費税還付が受けられることを見越して、選択届を提出しておく義務があったのに、その提出をしなかったために損害をかけたので、これを弁償した事案であるから、課税事業者が消費税確定申告(過少)とともに(過大)還付請求した場合と同一視することはできない。
三 被控訴人も、控訴人が消費税確定申告(還付申告)をすることなく、選択届を提出しなかったために、仕入税額控除による還付税額相当の損害填補を求めたのであれば、それが「被保険者が…税理士としての業務の遂行にあたり、職業上相当な注意をしなかったことに基づき提起された損害賠償請求について法律上の賠償責任を負担することによって被る損害」であるかぎりは、本件免責特約を適用することなく、保険金を支払った可能性があることを自認している。
それにもかかわらず、進んで還付申告をしてしまった場合に、過少申告等と同視して保険金を支払わないのは、還付申告により課税庁の判断を誤らせて、還付を受けてしまうおそれがあるためであるとのことである。
しかし、所轄税務署長は、申告者が課税事業者であるかどうかを容易に識別することができるから、被控訴人が主張するような危険性は乏しい。したがって、還付申告をした場合において、還付申告をしなかった場合と同様に保険金を支払ったとしても、違法な還付請求を誘発することになるとの被控訴人の主張は採用できない。
そのことは、過失によって選択届を提出しなかったのに消費税還付申告をしたことが、本件のように選択届提出済かどうかに思いを致すことなく漫然と行ったためであるか(甲二〇)、又は選択届提出済みと誤信していたためか、或いは提出を失念したことを知りながら、あえて所轄税務署長の寛大な措置を期待しつつ、還付申告をしたのかによって異なるところはない。
そうすると控訴人がなした還付申告を課税事業者がなした消費税(過少)確定申告と同視すべき合理性はない。
四 税理士賠償責任保険契約の免責特約中に、免責対象として過少申告等は記載されていても、過大還付請求が明文を以て記載されていないのは、過大還付申告は見破り易いために(例えば、所得税等の予定納税額を過大に記載して還付請求する場合を想起せよ。)、それを明記しなくとも支障がなかったためであると推測される。ところが消費税法施行後は、本件のような選択届提出失念を含む保険事故が多発したので(甲七)、被控訴人を含む保険会社は、選択届を出さないまま還付請求をした場合には、本件免責特約があるとの解釈を採用したものと推測される。免責特約は限定的に解釈すべきであり、拡大解釈できるとしても合理的範囲内に限るべきである。
以上の次第で、本件保険事故(還付請求ではない選択届の不提出)には、本件免責特約は適用されない。
五 そうすると次に、控訴人が訴外会社に対して、法律上の損害賠償義務を負担したかどうかが問題となる。控訴人本人尋問の結果、及び証人木股登の証言、並びに甲二、三、五号証、甲九号証、甲一一ないし二一、二二の1、2、二三号証により、次のとおり認める。
訴外会社は、平成二年一月までには営業を休止して、それ以降は事実上休眠状態にあり、平成三年一月以降は消費税課税事業者でなくなったが、平成七年七月二七日、オートバックスとの間でフランチャイズ契約を締結し、準備期間を経て同一一月一日から営業を再開した。そのために多額の設備投資をしたり大量の在庫商品を仕入れる必要が生じたので、平成七年一〇月一日から平成八年三月末日までの課税期間においては、仕入れが売上げを上回ることが予測され、控訴人も訴外会社から控訴人事務所職員(履行補助者)石井喬を通じて、そのことを平成七年九月末日までには知らされていた。そうすると税理士として訴外会社のために税務関係届出をなすべき任にあった控訴人としては、平成平成七年九月末日までに神田税務署長に対して選択届を提出しておくべきであったが、失念してこれを提出しなかった。したがって、税理士としての注意義務に違反した結果、控訴人は訴外会社に対し、少なくとも選択届を提出していれば還付を受けられるはずであった消費税相当額四三五万二〇二五円の損害賠償義務を負担したものと認める。
六 そうすると被控訴人は控訴人に対し、右損害賠償額のうち免責額三〇万円を差し引いた残額金四〇五万二〇二五円を填補する義務がある。
とすると右同額の保険金とその遅延損害金(控訴人が被控訴人に支払請求をした日の後である平成八年一一見七日以降支払済みまでの商事法定利率による遅延損害金)の支払を求める本訴請求は全部理由があるから、その請求を棄却した原判決を取り消し、あらためて控訴人の請求を認容して、主文のとおり判断する。
訴訟費用については民訴法六一条、同六七条二項を、仮執行宣言については同法三一〇条を適用した。
(裁判長裁判官・髙木新二郎、裁判官・北澤晶、裁判官・白石哲)